公園のベンチ。
そこに座りながら僕は必死に持っている本とにらめっこする。
時々思い出したかのように青のペンを取り出してはマーカーを付けていくが、少しかじかんだ手によって引かれる線は青が歪みに歪んで悲惨なことになっている。
「だから冬は嫌なんだ・・・」
教科書を軽く眺めながらそんなことを一人ごちる。
まったく頭に入ってこない教科書の内容への八つ当たりも少し入っていた。
「おはようございます」
突然教科書が翳って声が響く。
顔を上げればそこにはオフホワイトのマフラーとパステルピンクの手袋をして寒さに頬を赤くしながらも嬉しそうに微笑む少女がいた。
少女の笑顔を受けて僕も負けじと笑顔で返す。
「おはよう、ユフィ」
その言葉に少女―――ユーフェミアは嬉しそうに笑った。
毎朝の公園での待ち合わせ、僕らがこの待ち合わせをするようになってから約3年になる。吐く息が白く立ち昇っていき、空気も冷気を帯びてどこか凛とした雰囲気を持つこの季節。僕らが中学を卒業しそのままエスカレーターで高校に入学してから3年で。そして僕らが付き合い始めたのも中学3年の冬だったからそれはまるまる僕らの交際年歴となる。
あの日からもう3年も経つのか・・・
過去を思い出して僕が感慨に耽っていると、
「スザクは進路はもう決めた?」
ユーフェミアがこちらを見て話しかけてきた。多分僕が持っている英語の教科書に目が行ったのだろう。
「うーん、大体はね。多分このまま上に行くことになるかな、なんて・・・」
行けたらだけどね、と言って教科書を軽く持ち上げながら苦笑いをする。
附属の大学は外部受験ほどではないけれど、やはりレベルが高い。
正直今の僕の学力では本当にギリギリだった。
しかしその言葉を聞いた途端ユフィは目を輝かせる。
「それなら私と一緒ね!」
とても嬉しそうに笑った。
その素直な態度が微笑ましいと思う反面、少し意地悪もしてあげたくなって。
僕は頷きかけたのをやめてまだ決定ではないからどうなるかわからないけどね、とその気もないのにそんなことを言えば、ユフィはむぅスザクは意地悪ですと言って不満気な表情を作った。そんな彼女に僕は笑ってごめんと言うと彼女の手を取って軽く絡める。すると彼女はたちまち機嫌を良くして嬉しそうに僕に寄りかかってくる。中学に入ったばかりの頃は僕と変わらなかった身長も今じゃすっかり僕より頭一つ分の差がついた。
感慨深くもなるものだな、そう思った。
+++
「あ、ルルーシュ?」
え?
ユフィが発した単語に咄嗟に反応し前方に視線をやる。
すると難なくその姿を捉えられた。ルルーシュはどこにいても目立つのですぐに見つけることができる。たとえ後ろ姿だけだったとしてもルルーシュの周りの取り囲む空気、とでもいうのだろうか?とにかく彼の周りだけは常に異質な空間が広がってるのだ。
「本当だ・・・」
確かにルルーシュがいた―――。
「この時間に登校だなんて珍しいですね」
そう言うユフィはとても嬉しそうで。
僕はユフィの言葉に尤もだと頷いた。
ルルーシュは低血圧のために朝が弱い。したがって元剣道部であり今は引退した身であっても習慣のため早めに登校するスザクや、それに合わせて早くに家を出るユーフェミアたちとは登校時間がまったく異なるのだ。だからルルーシュがこの時間に登校するのはとても珍しい。
日直の時だって、今より1時間は遅く登校していたのに・・・
何か用事でもあるのだろうか?
ルルーシュの後ろ姿をぼんやりと眺めながらそんなことを思っていると、
「ルルーシュー!!」
ユフィが駆け出しながらルルーシュの背中に向かって声を張り上げた。
そんなユフィに苦笑いしながらも続いて僕もルルーシュの方へと駆けだす。
距離が無くなって僕がルルーシュの元に辿り付くが、その前を走っていったユフィは当然僕よりも先にルルーシュに辿りついて。だが―――、
「お前はまた朝からあんな大声を、っておいっ!!?ま、待て、ゆ!?」
ユフィの声に気付いておそらく文句を言うためだろう、後ろを振り向こうとしたルルーシュがしかしぎょっと表情を変えた。ユフィは駆け出した勢いを殺すことなくルルーシュの背中へそのままダイブしたのだ。あ、と思った時には時すでに遅し。つまりルルーシュにその重みが支えきれるはずもなく。憐れルルーシュはユフィと同じようにダイブすることになったのだった。勿論地面に。
いや、少しは鍛えようよルルーシュ・・・
ユフィもユフィだと思うけど、ルルーシュもルルーシュだな。
そんなことを内心呟いた。
「あら〜?」
「・・・ユフィ、」
ユフィはしまった、とでも言うように焦りながらも笑顔で、しかし視線はあらぬ方向を向けてさ迷わせている。必死で誤魔化そうとしてるんだろうけど。
いや、それじゃ誤魔化せないと思うよユフィ・・・
ルルーシュの地響きのように聞こえる声と焦りを浮かべるユーフェミアのいつも通りの展開にスザクはやはり心の中でだけ呟いたのだった。
+++
「なんでいつもいつもお前は普通に挨拶することができないんだ!毎回毎回言ってるだろう、人を見つけるなり抱きつく癖はやめろと!」
3人が揃って一緒に登校しようと歩き出してから5分。
まだルルーシュのお小言は続いていた。
辺りには人が少ないためルルーシュの怒声がやたらと響く。
「ごめんなさい・・・」
そんなルルーシュにユフィは項垂れながら声を紡いだ。
その顔はさも反省してますごめんなさいといった風情で、しかも沈んだような声色であったのだから。元来のフェミニストであり尚且つ根っからのシスコンでもあるルルーシュにそれ以上、義妹とはいえれっきとした妹であるユーフェミアを叱り続けることなどできはしなくて。
当然―――。
「・・・わ、わかればいい。次から気を付けろよ・・・」
こうなる。
先まで釣り上げていた眉を少し所在なさ気に下げ表情も軟化させてルルーシュは許しの言葉を与えた。
その言葉を聞いた瞬間、さっきまでの反省はどこへやらユーフェミアは途端に喜び露でルルーシュ!と抱きつく。それにまたルルーシュはうわっと言いながらも今度はきちんとユフィを支えてほっと息を吐く。(なんだかトラウマちっくだ)
まぁ確かにその姿は愛らしくて絆されてしまうのもわからなくはない。スザクはそう思う。でもね、ルルーシュ・・・
その台詞何回目かな・・・?
そう、この親友は会う度会う度ユフィに抱きつかれてはその度に被害を被っているのだ。1回や2回のことであればまだわかるが、もうそろそろ二桁も後半に入るのでは?という回数にもなっているのだから呆れやら何やらで嘆息してしまう。
そもそも最初に怒っていたのだってユフィを支え切れなかった自分が恥ずかしかったための照れ隠しみたいなものなので。尚且つ支え切れない自分では妹にも危険を与えてしまうと判断したが為のお小言なのだ。自分が被害に遭ってることには結局何とも思っていない。本当に妹に甘いんだからルルーシュは。スザクがそう思ってしまうのも仕方ないだろう。いや、そもそもそれなりに勢いが付いてたとは言え女の子に押し倒されちゃう男の子(こう言うとなんか卑猥だ)ってのにも少し問題がある気がする。(身長は僕より高いくせに体重はユフィと変わらないんじゃないだろうか?)やはり何が何でも剣道部に入れておくべきだったか、とルルーシュにとっては不穏極まりないことを思う。
実を言うと、僕は中学に入る時にルルーシュを剣道部に入れようとしたことがある。
出会った頃に何でもない生垣に頭を突っ込んでしまったルルーシュの運動神経及び運動不足を心配して何とかルルーシュを自分と同じ部活に入部させようとしたためだ。しかしルルーシュはこれを断固拒否した。彼曰く、あんなむさ苦しい上にあれだけの汗を吸収させておいて洗うことすらしない仮面など被っていられるか!ということらしい。それに対し僕が仮面じゃなくて面だよ!それに洗わないんじゃなくて洗えないんだ!などと抗議したところで、そんなこと知るか!とばかりに一喝されてしまって。もはや僕には何の反論もできなかった。確かに少し臭うものではあるけど・・・あんまりだと思う。
まぁそんなわけで、剣道部はもちろん校内のありとあらゆる運動部を完全拒否したルルーシュは最終的には家庭科部というなんとも文化系、かつ彼に似合わなそうでいて実はとてもお似合いの部に落ち着くことになったのだった。
ちなみに僕ら剣道部の部員は練習の合間をぬっては彼の作った料理、もしくはお菓子を貰いに行っていた。なんで部員まで一緒なのかというと、あまりにも休憩中いそいそとどこかへ消えていく僕のことを不審に思った他の部員たちが卑怯にもこっそりと僕の後をつけてきたからである。そして僕が至福の表情でルルーシュの手料理を味わっていた時になってずるい主将だけ!などと喚き散らしながら乱入してきたのだ。僕はその様子を眺めながら、図々しいやつらめと舌打ちしていた。
表面上はクールに見えても基本的に優しく面倒見の良い彼のこと、良かったらまだあるぞとばかりに料理を差し出すのは当然の流れであって。そして僕にはそうなることがわかり切っていたのだから。勿論その言葉に喜んだ部員たちは始めは空腹を満たせてラッキーとばかりにやかましく皿に手を付けたのに、一口食べるなり一斉に動作を止め黙り込んでしまった。
その様子に口に合わなかったのか?と心配気なルルーシュが声を掛けようとしたがその理由を知っている僕はこれ以上ないくらい忌々しい気持ちでそれを見ていた。そして予想していた通りにその次の瞬間には歓喜の声を上げながらもがっつくようにして貪る部員の姿。(つまり美味しすぎて声に出来なかっただけ。ルルーシュは料理上手だから・・・)
それ以来、僕としては甚だ不本意ながらも休憩時間には部員を引き連れての大所帯となってしまったわけである。ちなみに食べた分は生徒会から別途に予算が出ることになっている。我が部の剣道部は強いため多少の無理が通るのだ。
家庭科部としては迷惑なんじゃないだろうかと思っていたのだが、なんでも今までの部員数では挑戦できなかった料理も作れるようになったとかなんとかで実はそんなに迷惑ではないらしい。そのことがわかってからは迷惑だから控えろという口実も失ってしまい、むしろ僕1人が食べに行く方が予算も下りなくて迷惑であるという正論でもって今の状況に甘んじるしかなくなってしまったのである。
と、なんだか話がずいぶん逸れたが今は登校中であったことを思い出す。
横を見ればルルーシュとユフィが楽しそうに朝のスキンシップを図っていた。ほとんどユフィからの一方通行であるが、しかしこの兄妹は本当に仲が良い。きっとルルーシュが兄気質でユフィが妹気質なのだからだと思う。
そういえば、と僕はルルーシュに挨拶もしていなかったことに気付く。
ちらっとルルーシュを見やれば、ユフィを挟んで反対側にいたルルーシュと目が合う。
僕はそんな彼に微笑んで。
「おはよう、ルルーシュ」
「あぁ・・・おはよう、スザク」
挨拶を口にすれば向こうも微かに笑んで返してくれて。その様子を見ていたユフィもスザクだけずるいとばかりにルルーシュに挨拶をして、ルルーシュはそれにも淡く笑んで返していた。その光景を見て幸せだなぁと思う。
どこから見ても可愛い彼女と、大好きな親友。
そんな大好きな二人と登校出来るこの瞬間、
僕はとても幸せだった。
+++
「おっはよ〜ん!ルルーシュ!スザクにユフィも!」
教室に入ってくるなり真っ先にルルーシュに挨拶をし、続けて僕とユフィにも挨拶をする。
リヴァルである。
「おはようリヴァル。朝から元気だな」
「ルルーシュが静かすぎるんだって!俺は至って普通!っていうか今日はどしたの?やたらと早いじゃん。いつもHRが始まるギリギリになってからの登校なのに」
「ん、ちょっとな・・・早く目が覚めたからたまには早めに登校して図書室でも行こうかと思って」
「なるほど。ん?でもこんな朝早くから図書室なんて開いてなくない?」
「あぁ、俺も登校してから気付いた」
「・・・ほんとルルーシュって、どっか抜けてるよな」
「うるさい」
そう言ってリヴァルがルルーシュの肩に腕を回してじゃれ合う。そんなリヴァルにルルーシュは文句を言いながらも、なんだかんだと楽しげである。
「どうかしたのですか?スザク?」
2人の会話をどこか腑に落ちない気持ちで聞いていた僕にユフィが話しかけてくる。
「え?あ、いや、なんでもないんだけど・・・ちょっと英語の単語を思い出していて、」
ダメだね、さっき見たばかりなのにもう忘れちゃってるや、と笑いながら言えばユフィも笑って同意を示してくれた。
「もうすぐ受験ね。頑張りましょうね、スザク」
そう言って励ましてくれるユフィはさすが余裕である。
それもそのはず。ユフィは学年でも5本の指に入るほど優秀な生徒で。女子の中では首席のカレン・シュタットフェルト、次席のニーナ・アインシュタインに次いで学年3位という実力の持ち主なのである。少し前まで剣道一色だった僕とは学力のレベルがまるで違うのだ。まぁそんな彼女の更に上を行くのがルルーシュなのだけど・・・ルルーシュの場合はもはや悔しいという気持ちにもならない。なんかレベルが違いすぎて。大して勉強もしてない上に授業だってほとんど寝ていてどうしてあんなに成績がいいのか。常々不思議であった。きっと僕とは根本的に頭の構造が違っているのだろう。受験も確実に合格安泰、羨ましい限りだ。そこまで考えて、ふと思う。
そういえば・・・ルルーシュは進路どうするんだろう?
思い起こせば、今まで一度もルルーシュの進路の話を聞いたことがなかった。
このまま付属の大学に進学するのだろうか。
彼の頭ならどこでも余裕だろうが・・・できればこのまま進学してほしいと思う。
そうすれば中学、高校と続いて大学も一緒に通えるしね・・・
うん、今度ルルーシュに聞いてみよう!そんな決心をしてから僕らは他愛もない話に花を咲かせて、そうしているうちに時刻が半を指す頃になって僕らは自分たちの席に戻っていった。同時に学園全体に響き渡る鐘の音。始業のチャイムである。
朝のHRの始まりだった。
+++
スザクが剣道部にルルーシュを誘ったのは中学に入学してから3ヵ月ほど経った頃です。
ルルーシュが家庭科部に入ったのはスザクの勧誘があまりにもうるさくて仕方なくで、入ってみたら意外に楽しかったので結局中学、高校と6年間続けたのです。
ちなみに他の剣道部員にバレたのはスザクが家庭科部にお邪魔するようになってからしばらく経った頃、スザクが2年になって主将に選ばれた後です。
剣道部が強くなったのはスザクのお陰。
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