今回は小話ではなく普通のお話になりました。
ルルーシュによる過去の回想です。

辻褄を合わせるのが大変だったので、放棄しました。
なのでナナリーの目は見えます。ついでに言うと歩けちゃいます。
お陰でつまらない話が続きますので長いなと思ったら、
最後のあとがきだけ読んじゃってください。

※日常(12)の続き










「というわけで、一緒に住むことになった枢木スザク君だ」



わざわざフルネームなのは嫌味である。
別にスザクと一緒に住むのが嫌なわけではないが、あまりにも強引過ぎる。
そしてそれよりもなんか、こう、
自分が犯してはならない過ちを犯してしまっている気がするのだ・・・。

「まぁ!スザクさんも明日からご一緒なんですか?」

ナナリーは、新たに出来た同居人が嬉しいのか満面の笑みを浮かべている。
その姿を見てルルーシュは、さすがナナリーだと誇らしくなる。皇女でありながら、突然の同居にも動じることなく優しく受け入れるナナリーの姿はルルーシュの心を鷲掴みであった。

「うん。明日からよろしくね」
「嬉しいです。よろしくお願いしますね」

早速挨拶を済ませている2人を見て、ルルーシュは微笑んだ。
そして遅まきながら少しの喜びを感じている自分に気付く。



確かに先ほどまでは、強引な同居の話に不貞腐れてはいたものの、やはりスザクのことは好きであるし、大切な友人である。親友と言ってもいい。
元来は人との親密過ぎる付き合いを避けるルルーシュであったが、スザクとなれば話は別で。今ではC.C.を隠す必要もなくなったことだし。そう、むしろこれから過ごすことになるであろう生活が楽しみになってきてさえいる。

(あのまま王宮に居たら、味わえなかった体験だな・・・)

ルルーシュは、目の前の心暖かい光景を見詰めながらそう思う。





王宮での日々はルルーシュにとって掛け替えのない思い出である。
母がいて、ナナリーやユフィがいて。当時婚約者だったミレイが訪れてきては3人ではしゃいでいた。時にはコーネリアを交えてお茶会をしたり、クロヴィスが訪ねてきてはチェスだモデルだと騒ぎ立てる。そして、時々ではあったがシュナイゼルが訪ねてくることもあった。
そういう時は大抵、自分とシュナイゼルの一騎打ちとなる。負けっぱなし、というわけではなかったが他の誰にも負かされたことの無い自分が唯一、敗北をきする相手というのが他でもないシュナイゼルであったから、来た時は自分からよくチェスに誘ったものである。穏やかで楽しかった幸福の日々。


だが、その生活も母が病に倒れたことで一変してしまう。


8歳の時に母が倒れて、母はそのまま帰らぬ人となった。
母親という絶対的な守護者を失ったルルーシュたちにとって、王宮は決して生きやすい場所ではなかった。役立たずとなった皇子たちをなんとか利用してやろうと打算や策略が為される日々。コーネリアたちが守ってくれなかったら、ルルーシュたちはその謀略の餌食となっていたことだろう。どんなに賢くても、所詮ルルーシュは10にも満たない子供でしかなかった。ナナリーはもちろん、自分の身ですら自分で守れない弱者でしかなかったのだ。
それを自覚した時、ルルーシュは母の死を悲しむのをやめた。残された、たった一つの宝物がまだあることを知ったから。幼くして母を亡くしてしまったナナリー。その掛け替えのない宝物は、ルルーシュに生きる意味を見出させた。ナナリーにとって強く立派な兄に、そして、失ってしまった母の代わりに。その想いだけがルルーシュを母への悲しみから立ち直らせた。


それからは必死だった。少しでも自分の身を守るべくありとあらゆる知識を身につけた。
今まで受けてきた帝王学はもちろんのこと、それ以外にも工学、天文学、医学・・・必要、不必要を問わずにとにかく学んだ。他の皇子と同じ事をしているだけでは駄目だったのだ。皇子として必要のない知識であっても、あるのとないのとではわずかだが差が生まれる。当時のルルーシュにとって、このわずかな差が重要な意味を持っていた。


その甲斐あってなのか、やがてルルーシュの努力は実を結ぶ。
磐石と言えずとも、簡単には蹴落とされることのない足場を確立することができたのだ。それは自分にとって真に必要としたものであり、ナナリーを守るためにも絶対に欠かせないものであったと今でも自負している。
だが、結果的にそれは自分に良くしてくれた兄弟姉妹を利用したことにもなってしまった。そして、そのことがルルーシュに負い目という精神的な負担を持たせてしまうことにもなったのだ。


そう、ルルーシュはこの時、自覚症状こそなかったものの精神的にかなり参っていた。追い詰められている、という程のものではなかったのだが、それでもルルーシュを囲む周りの者にとっては見過ごせないほど大きなものであったのも事実だ。

だから、なのだろう。

ある時シュナイゼルが唐突にやってきて日本で行う会議に出席してみないかと言ってきたのだ。





その当時、日本とブリタニアは大変微妙な関係であった。
サクラダイトの巨大産出国である日本を支配下におきたいブリタニアと、当時日本の首相であった枢木ゲンブ率いる派閥が、反ブリタニアを掲げる強硬派であったためだ。会談を行うも、相手がまったく引かずどかずの膠着状態。当然会談は始終平行線を辿った。
おそらく、あと一歩でも間違えれば日本との戦争は免れえぬものであっただろう。事実、最後の会談を終えても状況が変わらなければブリタニアは日本に宣戦布告するつもりであった。
そもそもその会談にしたって、シュナイゼルが強引に実現させたのだ。
今まで総指揮を執っていたのは第8位の皇位継承権を持つ第4皇子であったが、あまりにも変わらぬ状況にシュナイゼルが突如参入することになった。会談を設けるかどうかについてはブリタニアでも議論になったのだが、意味がないだろうと半ば自棄になりつつあった皇子を抑え込み、シュナイゼルが最後の会談を取り付けることに成功。
そんなシュナイゼルに対し第4皇子は、うまくいくはずがないと鼻で笑っていたが(この時点でこの皇子の未来は決まっていたのようなものである。自ら外交使者でありながらその責務を放棄したのだから)、思いもかけず事態は好転した。


それが喜ばしいことであったのか、悪いことであったのかはわからないが、強硬派であった枢木ゲンブとその妻が、会談に向かう途中で事故に遭いそのまま帰らぬ人となったのだ。


会談は延期になった。
盤石であった強硬派のトップがいなくなったことで、政財界には動揺が走り、日本は新たな指導者を立てる必要性に迫られていた。
日本政府は、急遽、臨時選挙を行った。
当然、今までのように強硬派の流れを汲むものが次期首相になるだろうと予想されていた中、大半の予想を裏切って首相になったのは穏健派の者であった。
強硬派はその結果に愕然とし、その原因を追求した。


分かったことは長らく続くブリタニアと日本の緊張関係に国民が疲れていたということだった。


最初こそ現実感を持たなかった日本人であったが、次第に高まる緊張感に、まさか本当に戦争になるのでは?という不安が急速に高まっていたのだ。そして、枢木ゲンブが事故で亡くなったのを切っ掛けにその不満が爆発した。
結果、日本国民は間接的にではあるがブリタニアを受け入れた。
強硬派に代わり、穏健派がリーダーシップを執って行われた会談は、一筋縄ではいかなかったものの、結果的に双方にとって大変有意義なものとなった。
日本はサクラダイトの産出権の半分をブリタニアに譲り、政権を民主制からブリタニアと日本の共同政権とすることに同意。ブリタニアはその見返りに日本をエリア、つまり植民地としてではなく属国として認めることに同意した。植民地と属国では、その国民への待遇に大きな開きがある。
早い話が国のトップは乗っ取られてしまったが国民の生活は変わらなかったというわけだ。


その会談が纏まって以降、ブリタニアと日本は着実に友好的な関係を築いていった。
最後の会談に反対し、自らの責務を全うしなかった皇子は外交使者という地位、ひいては次期の日本総督になる地位をはく奪され、代わりにシュナイゼルに全権を任されることになったのだった。
名実ともに総指揮を執ることになったシュナイゼルによって、ブリタニアと日本間で友好条約が結ばれ、正式に日本がブリタニアの属国となったのを待って、シュナイゼル率いるブリタニアは日本の政権を握ったのだった。
日本とブリタニアの共同政権と言いつつもそれが建前でしかなかったのは周知の事実である。もちろん国民にそんなことを面と向かって明言したりはしないが、国民だって馬鹿ではない。気付くものは気付いていたし、それが国民全体に広まったとしても、国民には関係がなかった。日本は国を奪われたが、名前を奪われずに済んだ。生活も保障され、経済によるブリタニアの援助も受けられることになった。一般市民にとって今までとなんら変わりない、むしろ今まで以上に充実した日々を送れるのだ。国民の勝利であった。


シュナイゼルが、ルルーシュを日本に誘ったのはそんな時である。


シュナイゼルは、この時10歳になっていたルルーシュに政治の才覚があることは見抜いていたし、日本での会議は国のトップ同士が集うだけあって内容は非常に高度なものであった。本人が学びたがっている政治を知る、これ以上無い学び場だったのだ。そして何よりも、ルルーシュは王宮での生活に疲弊し切っていた。
母親を亡くした後、悲しむ間もなく継承権争いの波に飲まれたルルーシュ。常に周りを警戒し、皇位継承権を争う毎日。駆け引きに策略、打算と陰謀の渦巻く汚い世界。このままいけばルルーシュの精神が擦り切れるのは時間の問題であった。


そんなルルーシュにとって、日本での滞在が静養になるのではないかとシュナイゼルは考えたのだろう。条約を結んでから日本とブリタニアは非常に良好な関係であったし、日本は穏やかな国であった。勉強という名目ではあるが、日本に行けばルルーシュは束の間であっても皇位継承権から解放されることになる。
それは根本的な解決にならない応急処置的なものであり、本当に短い期間のことではあったのだが、その時のルルーシュには確かに必要なことであったのだ。


ルルーシュは迷った。


確かに知りたかった政治を学べる絶好の機会ではあった。
だが、日本に行くことが、この闘争からの逃げになるのではないかという葛藤があったのだ。(そんな葛藤を抱くこと自体が、精神的に参っていると告げているようなものであったが、幼かったルルーシュには自分の状態が把握できていなかった)
そして、迷った末にルルーシュは日本行きを断った。
足場が出来たとはいえ、今の状態で王宮を出ることは、自分の逃げのような気がしていたし、何よりも1人残していくナナリーのことが心配だったのだ。
コーネリアたちは、ナナリーのことはきちんと面倒を見ると言ってくれたが、それでもルルーシュは頷かなかった。それはプライドの問題でもあったし、ナナリーと離れることの恐怖でもあった。自分が目を放した隙に大切なものを失ってしまうのではないかという恐怖。
母は病死であったが、母親の喪失によりルルーシュは、大切なものが自分の手からすり抜けていってしまう恐怖というものを知ったのだ。それがルルーシュの精神を蝕む。トラウマとなった喪失体験は、頑なにルルーシュをナナリーの傍にいさせた。
シュナイゼルも、そんなルルーシュの返事に残念そうにしていたものの、気が変わったらいつでも言いなさいと言ってくれた。この状態のルルーシュに無理やりナナリーを引き離さなかったのは、シュナイゼルの英断であった。だが、状況は変わらない。
王宮での生活がルルーシュに悪影響を及ぼすことはわかりきっているのに、肝心のルルーシュが王宮から出ることを拒否してしまうのではもはや手の打ちようがなかった。シュナイゼルたちは事実手詰まりになっていた。


しかし、状況が一変する。


ルルーシュが一晩経って急に、日本に行きたいと言い出したのだ。
その様子に、コーネリアたちはもちろん、シュナイゼルも驚いた。頑なだったルルーシュが突如意見を翻したのだ。なにがあったのだろうと訝しがってしまうのも致し方ないことだろう。
だが、理由は至極単純なものであった。


ナナリーが日本に行きたいと言い出したのだ。


ルルーシュが日本行きを断ったと聞いて、ナナリーはその日のうちにルルーシュにお願いをしに行った。それは自分を日本に連れて行って欲しいというものであった。
ナナリーは当時7歳ながら、ルルーシュの様子がおかしいことを敏感に感じ取っていた。そして、ルルーシュが頑なに自分の傍を離れないのにも気付いていた。当然、兄であるルルーシュが、いつも自分の傍にいてくれるというのはナナリーの精神的な支えであったし、母を喪った自分の寂しさを埋めてくれるルルーシュの存在は真実自分を救ってくれるものでもあった。
しかし、ルルーシュの様子がおかしいというのであればそれはまた別の話である。
ナナリーはルルーシュの状態をルルーシュ自身と周囲の状況で、頭ではなく本能的に察知し、日本行きをルルーシュに申し出たのだった。
ルルーシュの方も、ナナリーが行くというのであれば断る理由はなかった。そして何よりもルルーシュ自身が一番日本行きを必要としていた。


シュナイゼルたちは、ルルーシュたちの日本行きを喜んだ。
ルルーシュの決断に一応の納得をしてはいたものの、やはりこのままの状態がルルーシュにとって良くないということはわかりきっていたことだったからだ。
だから、ナナリーと一緒とはいえ、ルルーシュが日本行きを了解してくれたというのはシュナイゼルを始めとして、コーネリアたちをも安心させた。
ただ、ナナリーが行くというのであれば、ルルーシュたちは表立って日本行きを発表するわけにはいかない。ルルーシュが日本に行くというのは勉強でという名目であったが、ナナリーがその名目で 日本に行くと言うには、ナナリーは幼すぎた。
よって、ルルーシュたちの日本行きは極秘で行われることになったのだ。


今から7年前のことであった。





そして、その勉強という名目で訪れる日本という地でルルーシュは運命的な出会いをすることになる。





+++

つまり・・・
8歳の時に母を亡くしたルルーシュは、10歳になるまで汚い大人社会で頑張ったけれど精神的に疲れてしまって、丁度その時日本では、強硬派だった枢木パパが死んで、穏健派が台頭することでブリタニアとの間に友好条約が成立。静養がてらにシュナイゼルがルルーシュとナナリーを連れて東京にやって来たと。そういうわけです。
続きます。

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